私、大阪府茨木市で生まれ、30歳くらいまで過ごしました。紀南病院で10年勤め、開業2年目ですので、大阪を離れて、11年(12年目)になります。
毎年この時期になると、大阪からお中元が届きます。決まってそうめんです。うどんを思わせる太い麺ですが、すっかりこの麺に慣れてしまっています。
送り主は大阪の日生病院に勤務していたころに手術をした患者さんです。
手術をしてからもう15年です。お気遣い無用ですのでと、お礼状に何度も書きましたが、夏はそうめん、冬はポンズを送ってこられます。
勤務医時代はひとつの病院にいる期間は2-3年くらいです。次々別の病院への転勤の指示が大学医局から来ます。私も、若い間は同じ病院のあまり長くいずに、いろんな病院でいろんな上司を見て、手術に入った方がいいと思っています。視野が狭くなりますし、いろんな医師との出会いもなくなりますから。
ですが、患者さんにとって執刀医という存在は、私が考えている以上に大切なことのようです。”命を預けた”わけですから。
特に、これまではガンばかり手術をしてきましたので、本当に治ったかどうかは5年は見ないとわかりません。乳癌では10年以上です。
手術をした側としても、患者さんが本当に治ったか、ずっと見ていたいのですが、異動は突然やってきます。外来通院中の方も、再発して抗がん剤治療中の方も、みんな別のDrに申し送って、その病院を去っていきます。心苦しかったです。
紀南病院で初めて、術後5年継続して外来でみて、「もう卒業ですよ。」と言えた時は、私自身が一番うれしかったのかもしれません。これまではやりたいと思ってもできなかったので。
そうめんをいただいている方と一度電話でお礼を申し上げたことがあります。私はこの11年何もしていませんが、「先生のお蔭で今も生きています。」と言って頂きました。
こういうのが医者冥利かなと思います。
今年のお礼状には、「私のことを覚えていただいて、有難うございます。」と書きました。本当の気持ちです。
手術した患者さんが元気でいる、これほど外科医として心にしみる、嬉しいことはありません。